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イギリス紳士のユーモア(著:小林章夫)

 

 

イギリス紳士のユーモア (講談社学術文庫)

イギリス紳士のユーモア (講談社学術文庫)

 

 イギリス紳士のような、高貴なマナーの立ち振る舞いのできる大人になりたい。しかしイギリス紳士って、一体どうやったらなれるのか? 「まずは形から入る作戦」で、シルクハットにコウモリ傘を片手に街を歩いてみるところから入ってみるのも悪くないかもしれない。しかしたったこれだけではただのコスプレでしかない。もっと内面からイギリス紳士になりきりたい! という我儘な欲望も自然と生まれるはず。そんなときは「イギリス紳士のユーモア」を学んで、内面からイギリス紳士になりきるのだ。そもそもイギリス紳士のユーモアとはなにか? その辺のおっさんのユーモアと何が違うのか?その謎に迫るためには、まず「イギリス紳士とは何か」という問題を深く掘り下げるという準備運動が要る。

著者はもともとイギリス文学専攻の大学教授。著者はイギリスへの留学経験があり、本書はそこで得た体験を元に書かれている。イギリス紳士は伝統を大切にする、フェアな精神に重きをおくといった話が、著者の実体験エピソードとともに書かれている。このあたりはエッセイとして軽妙な文章で書かれているので、リラックスして気楽に読むことができる。

注意しなければならないのは、イギリス紳士にも大きく分けて二つの出身があることだ。これを理解するには、イギリス社会がどのように変化してきたかに注意せねばならない。まず一つは、中世の時代から名門的な家系出身の、正統な紳士。もう一つは、時代が進むにつれてイギリスでも封建社会が崩れてきたため、それに伴い現れた庶民階級出身の成り上がりの紳士。どちらの紳士も、紳士らしい作法やマナーをどこかで学ばなければ、イギリス紳士を名乗ることは許されない。名門出身の紳士は、家系がそもそも紳士なので作法やマナーも家庭内教育によって得ることができる。では成り上がり紳士の場合は? 封建社会が崩壊したころイギリス社会ではパブリックスクール、つまり学校教育が普及し、成り上がり紳士はそこでマナーや作法を身につけ、さらにスポーツを通じてフェアプレーの精神も学んで、こうして紳士に成り上がったのである(ここで、ジョナサン・ジョースターが少年時代にボクシングをしているシーンが頭に浮かぶ。彼もれっきとした英国紳士なのだ)。

では、そんな紳士的作法やマナーを見につけたイギリス紳士にとってのユーモアとはいかにあるべきか? 紳士にとって大切なのは、おおらかな精神、そしてどっしりとした余裕ある態度。ユーモラスな発言をするときも、この精神を決して忘れてはならない。つまり、単におかしなことを言うだけでは、その辺のおっさんとなんら変わらない。ユーモアをゆとりある紳士的な態度で包みこむことが必要なのだ。感情を表に出してもダメ。いつでも平然とした態度でいなければいけない。この本にではイギリスの元首相チャーチルのユーモア発言がいくつも紹介されていて、人を食ったようなユーモアがいくつも紹介されている。厳しい質問を浴びせる新聞記者に対しても、ユーモアを武器に平然と返り討ちにしてしまうのだ。この辺りで、「イギリス紳士のユーモアって、ハードル高くね?」という諦めの精神が脳裏をよぎってくる。

イギリス紳士のユーモアの深淵、それはブラックユーモア、つまり毒のあるユーモアである。ガリバー旅行記の著者であるジョナサン・スウィフトという作家は、イギリス紳士であると同時にもともとはアイルランド出身。当時アイルランドでは貧困問題や食糧危機が深刻だった。そこでスウィフトは「穏健なる提案」と呼ばれる文章を発表した。しかしこれが穏健とは程遠い、毒々しさに満ちた内容だった。アイルランドの貧乏人は赤ん坊を食べてしまえば貧困問題は解決だ、という過激な提案を行なっているのだ。この本にはその文章が引用されているが、淡々とした文章で、赤ん坊の体重は何キロだとか、これで何人ぶんの食料を得られるとか、殺伐とした話を数値によって説明している。とても笑えるような代物ではない。この文章を読んだ夏目漱石も、本気でこれを書いているのだというなら狂っているとまで言っていた。なぜここまでぞっとするような文章を発表したのか? アイルランドの貧困問題は、イギリス内でいくら声高らかに訴えてもだれも興味をもってくれない。ならば過激な内容で訴えることで注目を浴びるのだ。つまりスウィフトは単にに猟奇的な話を書いたのではない。ブラックユーモアの使い方と効果を知り尽くしてたうえでの、この文章なのだ。

表情ひとつ変えない態度がイギリス紳士のユーモアではあるが、その深淵は深くて黒い。私はこの本さえ読めば自分もイギリス紳士になれるのではと期待していたが、結論としては、とても一朝一夕ではイギリス紳士のユーモアは習得できそうもないことがわかってしまった。