稠密なる図書たち

ビブリオバトル用図書の処分状況。

フーリエ級数論を通じて19世紀の実解析学の流れを眺めてみた。あるいは振動論のご先祖様のお墓参りでもある。

弱気なまえおき:数学の話がいろいろ出てきますが、厳密な定義や数式や論理は避け、なるべく直感に訴えるような書き方をしています。ただ、記事に間違いがありましたらそれは私の至らないところとして甘んじて受け入れますので、コメント頂ければ幸いです。

では本題。

私の通っている数学の教室では、今年4月くらいまで、解析学の入門講座があった。具体的には、1変数の関数の微積分について学んだ(具体的にはには、実数の公理系から出発して、数列の収束・収束級数・連続関数・微分・リーマン積分・関数列の収束・形式べき級数・実解析関数としての指数関数や三角関数テイラー展開あたり)。最後のほうでは、フーリエ級数も扱った(具体的には、形式フーリエ級数・ディリクレ核・フェイェール核・ワイエルシュトラス多項式近似定理などなど)。

このゴールデンウィークに、19世紀までのフーリエ級数論の流れを見ることで、実解析学の歴史を俯瞰しましょうという講座があったので、それを受けてきた。フーリエ解析というと、私の専攻である耐震工学でもよく出てくる話。しかし、本格的に勉強したこともないし、もちろん理解もしていない。たとえば建築の構造屋さんには名著と名高い、柴田明徳先生の教科書「最新耐震構造」でも、フーリエ解析に1章を割いている。しかし、さっぱりわからん。用語の意味が色々載ってはいるが、なんでこれらが成り立つか、実際にどうやって使うのかが、私にはさっぱり理解が及ばなかった。柴田先生の教科書を読んで「フーリエ解析」と「ランダム振動」の話を理解できた人はいるのだろうか? という素朴な疑問もある。

 

最新耐震構造解析(第3版)

最新耐震構造解析(第3版)

 

 話を元に戻すと、講座内容は18世紀に勃発した弦の振動方程式論争から始まる。両端を固定した弦ばビロビロ振動する様子を、ニュートン力学に従って微分方程式にしたもの。

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この解、つまり弦が振動するときの変位と速度を表す関数とはどんな関数か? という問題。振動方程式といえば、地震波や建物の地震応答もまた振動。言うなれば、耐震工学でも使われる振動論のご先祖様がこのあたりなのだろう。ありがたやありがたや。

ダランベールとダニエル・ベルヌーイ(以下、D.ベルヌーイと表記する)が、それぞれ別の解を示した。ダランベールの解は純数学的かつ抽象的で、「任意関数」なるもので解を表現できると証明をしたもの。これに対しD.ベルヌーイは、この解は「自然現象の立場から違和感がある」と批判。D.ベルヌーイはこの解は三角関数級数(つまり三角級数)で表現できるとし、楽器の弦で実験してそれが正しいと主張した。純数学的立場VS実験科学的立場。なかなか熱い。

オイラーはこれらの解にそれぞれ批判を示した。ダランベールに対しては「任意関数」つまり関数であればなんでもいいという考えが奇妙と批判。この時代ではそもそも「関数」の定義がはっきりしていなかったという問題もあるが、ダランベールの考えていた関数は、何回でも微分できることを前提としているなど、実は関数ならなんでもいいという考えは成立しない。つまりオイラーの批判は正しかった。D.ベルヌーイに対する批判は、この三角級数による表現がすべての解を言い尽くしているのか? ということ。ちなみにこの時代のアカデミックな論争というのは、今の時代では考えられないくらい攻撃的で辛辣で、相手をコテンパンにしかねないような論調だったとか。ただ現代を振り返ってみても、SNS上の論争がいかに下劣でナンセンスで野蛮であるかを考えると、現代人も昔の人をバカにはできないのではと私は思ってしまうのである。

この論争に一つの答えを示したのはフーリエフーリエの理論は基礎の部分であやしいところがある。たとえば、フーリエは周期2πの連続関数はフーリエ級数で表せるの主張したが、その級数が収束することを前提として話を進めている。ただし基礎は怪しいものの、その怪しい前提を認めてしまえばフーリエの主張は正しく、大きな成果を上げている。ここからダランベールの解もD.ベルヌーイの解も導くことができてしまう。それにフーリエの理論を使えば2階微分の方程式の数理物理の問題が次々に解けてしまう。そもそもフーリエがこの理論を作ったもの熱方程式を解くためだった。

その後、フーリエ級数が収束する条件についていろんな人が研究し、いろんな人が挫折したという。その中で成果を上げたのはディリクレ。しかしまだ未解決の問題はある。それを進歩させたのがリーマン。リーマンの書いた論文の主旨は「収束する三角級数の包括的な研究」であり、特に、ディリクレのやり残した三角級数の一般論を問題にしている。
ディリクレの仕事の未解決問題をまとめると、
・「任意の積分」とは何か?
フーリエ級が収束するための条件は何か?
フーリエ級数で表示した関数が、逆変換でもとの関数に戻るための条件は何か?
となる。まず、この時代までの積分とは連続関数しか扱えなかったが、ディリクレの解決していない問題を扱うために、リーマンは積分概念を拡張して、今まで積分できなかった関数も積分できるようにした(それでも積分できない関数はまだあるが)。これがリーマン積分。ちなみに今の微積分の教科書に載っているようなリーマン積分の定義は、リーマンのオリジナルのものではない。ダルブーの手で洗練されたものである。ルベーグ積分も、教科書に載っているのはオリジナルのものではなくカラテオドリによって抽象的に洗練されたものらしい(測度論の話は、まだ私はやってないのでよくわからんが)。どうも時代の先駆者のアイデアというものはなかなか理解され難く、後の人によりそのアイデアが洗練された功績というのも偉大だもののようだ。この話とは関係は薄いが、リーマンの論文「幾何学の基礎をなす仮説について」は文庫でも読める。しかし、なにが書いてあるかはすごくわかりにくい。数式を飛ばして読んでもすんごいわかりにくい。

 

幾何学の基礎をなす仮説について (ちくま学芸文庫)

幾何学の基礎をなす仮説について (ちくま学芸文庫)

 

 

不連続だけどリーマン積分可能な関数の具体例として、こんなものがある。

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この関数は一実変数、つまり数直線上の関数だが、絶対に図式できない。疑問に思う人がいたら実際に描いてみるとよい。絶対に描けないから。定義はできる、だが図式できない。どんな関数なのかは感じ取るしかない。 Don't Think. FEEL! (いやいや)。数学屋さんからすればこの程度のことを考えるのは当たり前なんだろうけど、私のような門外漢からすればかなりヘンタイっぽい世界に思えてします。だがこのヘンタイっぽさが個人的にはたまらないのだ。

その後、リーマンの三角級数論の未解決問題はカントールも取り組んだ。集合論の創始者として名高いあのカントールカントールははじめはクロネッカーの弟子として数論に取り組み、その後ワイエルシュトラスから解析学を学び、ハイネの影響で三角級数論を始めたという。カントールの論文は三角級数論から始まるが、そこから点集合論、さらに一般の集合論とどんどん話が抽象的に発展していったという。先生はクロネッカーカントールの論文を読んだことがあるらしいが、先生によれば、クロネッカーの論文は明晰だけどカントールのはなにが言いたいのかわかりにくい論文だったのだとか。先生曰く、今でも結果の正しさやアイデアの優秀さは凄いがその反面論文の言いたいことがおぼろげな人もいるし、そういう人の論文を他の人が手直ししようすると怒ることも多いんだとか。あるある(個人の感想です)。

数直線上の関数で、ヘンタイっぽいのをもう一つ。1実変数の関数で①有理数では連続、②無理数では不連続、という関数は存在しないという主張。これはボルテラというイタリアの数学者が、カントールの研究結果を応用して証明したんだとか。実際、証明の途中でカントールの区間縮小法を使った。大学数学の微積分の教科書で、実数の完備性(連続性ともいう)のところで出てくるアレである。単純な定義から作られる摩訶不思議の世界というのはゾクゾクする、と私は思う。それはともかく、つまりカントール集合論はその後の実解析学でも大いに使われたという話である。
カントール以降の時代の、ベールやルベーグの話もあったけどこの話は省略する。証明は省略した概要的な話だったのと、単に私がまだ測度論や位相空間論をやっていないので、このあたりの話は説明できる自信がないから(ごめんなさい)。あと、フーリエ解析学は20世紀以降も発展するけど、その話は今回の講義ではなかった。あっても、まず間違いなく私ではついていけない。
今回の講座の収穫は、1実変数の微積分という一見初歩的な世界でも、深淵が見えないくらいディープな世界であることが体感できたことだろう。沼だ。あと個人的には、振動論のご先祖様を参ることできたのはなんだかしみじみする。