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心の哲学入門(著:金杉武司)

 

心の哲学入門

心の哲学入門

 

 

「ロボットに心はあるのか?」「ロボットに、人間と同じような心を持たせることは可能なのか?」とは、SFの世界でも古くから問われている問題である。この問題を考えるには、「そもそも心とは何か」という話から深く考えないといけない。よくよく考えると不思議なことに、私たちは、人間には心があることにはなんの疑いも持っていない。にも関わらず、心とは一体何かと問われると、明確には答えられない。
心の哲学入門」とは、その名の通り「心とはなにか」を哲学するための入門書だ。「哲学」という名が付いていることからも分かる通り、心の正体について、理屈でもってアアデモナイコウデモナイという議論が繰り広げられる。本書の目的はもう一つあり、「心とはなにか」という具体的な問題を一冊まるまる通して解説することで、「哲学的に考えるとは、こういうことだ」という哲学一般の方法論を示した入門書にもなっている。例えば、哲学的に考えるためにまず土台となるのは、常識的な考えなのだということ。「心とはなにか」ということを私たちは常識的には知っている。何かを欲しがったり、嬉しかったり悲しかったりするのは何故かというと、これは常識的に考えれば、私たちに心があるからだ。心の定義はできなくても、心とはどんなものなのかは、ある適度までなら常識であれこれ論じることができる。この常識こそが「心とはなにか」という問題を考える出発点になる。もちろん常識が間違っているということはいくらでもあり得る。例えば太古の昔は地面は平らだという考えが常識だったが、それは間違いで、実は地球は丸かったのだ。そういう意味では、常識とはそれほど当てにならないものである。しかし常識のまったくない状態で何かを考えたり哲学したりすることはそもそも不可能。哲学の土台となるのは常識である、という考え方の作法が学べてしまう入門書なのである。
出発点こそは常識だが、そこから先へ考えを構築していくための道具になるのは、あくまで理屈である。とりわけ論理的であることが重要視される。「心の志向性」「構文論的構造」「想定可能性論法」といった、難しそうで読み飛ばしたくなるような漢字だらけの名称の概念もしばしば飛び交う。しかしこの本は親切なことに、これらの概念の説明には必ず私たちが日常的・常識的に身近に感じられる具体例が付け加えてられている。この本を読む上での専門的な予備知識は必要ないと言っていい。概念や専門知識の解説はすべて本書の中に用意されている。解説を読んで、あとは自力でじっくりと考えてその概念を理解しながら読み進めればいいのである。
逆にいうと、この本の内容を理解するには、それ相当にじっくり頭を働かせて考えることが要求される。概念を理解するためには、自分で納得できるまで考え込まなければならない。簡単には理解できない概念だってある。この本には要所要所でQ&Aのコーナーがあり、初心者によくある疑問とそれへの回答も紹介されている。質問の中には「この概念、おかしくないですか」という批判めいたものもあるが、中途半端な批判は回答でメッタメタに返り討ちにされているのが恐ろしいところ。
この本の結論は「心とはなにか、という問いには私たちはまだ明確な答えが出せない段階である」とまとめられている。一見すると拍子抜けの結語であると思うかもしれないが、そんなことはない。この本を通じて得られるのは「哲学的に考えるとはどういう事か? どんな方法があるのか?」ということであり、もっと噛み砕いて言えば「私たちの生活の土台となるような基礎的なものだが、それが何なのかうまく説明できないもの」を説明するための方法論なのである。例えば「時間」や「道徳」なども、「私たちの身近にあり、それがなんなのか知っているつもりだけど、明確な定義はと問われるとうまく説明できないもの」である。この本を参考に、じっくり考えてみるのも悪くないかもしれない。